エッセイ · 2026年4月

『サンベルナルド』を翻訳して
―徒然なるままに

フェリッペ・モッタ

岐部雅之訳

I

自分の物語を綴るという計画。至難の業だ

残念ながら、読書の際に日付を書き留めるという良き習慣は持ち合わせていない。実際、常日頃から数多くの本を併読し、ふとした思い付きやその日の状況次第で中断することもあれば、再度手に取ることもある。それ故に、『サンベルナルド』を初めて読了したのがいつのことだったのか正確には分からない。とはいえ、まだ若い時分であったのは慥かで、12歳か13歳頃だったろう。そう見当が付けられるのも、同作家の別の傑作『苦悩』を読んだことにある。これこそあの少年時代、失恋を経験した後で読んだのを鮮明に覚えている。いずれにせよ、『サンベルナルド』を先に読んだことは間違いない。さらにその前には、ブラジルのどの学校においても必読書とされる『乾いた人びと』がある。

サンパウロ市のカンタレイラ山脈付近には祖父母の旧宅が構えられ、居間の書棚には2組の選集があった。一つはよく覚えていないのだが、歴史上の人物の伝記物で(ナポレオンの生涯を読もうとしたものの、歯が立たなかった)、もう一つはジョゼー・オリンピオ社から1953年に刊行されたグラシリアノ・ハーモスの文学全集であった。そこには、『カエテー族』、『サンベルナルド』、『苦悩』、『乾いた人びと』、『不眠』、『幼年時代』のほか、浩瀚な4冊から成る大著『獄中記』が含まれていた。作家の書簡集や紀行文は収められていないが、20世紀を代表するブラジル人作家の一人の名著を収録する申し分ないコレクションだ。この全集がどういった経緯でお祖父さんとお祖母さんの家の書棚に落ち着いたのかよく分からないが(誰かがその本を手にするのを見たことは一度もない)、お祖父さんが亡くなり、お祖母さんが引っ越しをする前に、叢書を持ち帰った。祖父が生涯読み続けたトリエントのミサ典礼書と共に、今も私の書棚にある。それを使って私は己のグラシリアノを読んだ。全集は私と共に渡日したわけである。

小説、短篇、それから迫害の経験を綴ったものを含む全著作の中で、私の贔屓は常に『サンベルナルド』であった。世界文学には数多の優れた創作物や読むべき良書が山ほどあるのと、とりわけ人生の大半を読書に注ぎ込んできた故に、私は一冊だけを取り上げ、これぞ座右の書なりとは言えない。そうした大胆な人間ではない。しかしながら、文学的な秀逸さ、愛着、個人的な好みを考慮すれば、『サンベルナルド』は間違いなく五本の指に数えられよう。これを日本語に訳す前に十回以上読んでいたのも、あながち理由のないことではない。定期的に読み返すのだが、通読あるいは印象に残る一節のみに目を通すことがある。パウロ・オノーリオとマダレーナは昔ながらの友であり、初めて読んだ時以降、私の視野から完全に消えたことは一度もない。登場人物の中には、ある日ふと意識に入り込んで棲みつくものがいる。彼らは将来経験する上での参考や、想像上の記憶に宿る虚構の助言者となる。そうした存在を解剖することは、文学的研究と同時に自己分析である。これが本文を綴る衝動なのかもしれない。

続きに入る前に、一つ運命的な余談をしたい。翻訳者になることは私の優先事項ではなかったし、今でも変わらずそうである。これまで何年もその仕事を避けて来た。そんな背中を押してくれたのは、ある同僚であった。彼こそはブラジル文学の専門家で翻訳家。大学の廊下での立ち話や授業の合間のやり取り、学会後にビールを呑みながら、私たちは『サンベルナルド』を翻訳する可能性について話し合いを始めた。私よりも几帳面な岐部雅之氏は、2005年4月29日にこの小説を読了したと書き留めていた。パウロ・オノーリオが日本語で書くという能力について考えながら、ほんの出来心で作業に取り掛かることにしたのである。この後に綴るのは、およそ2024年から2026年の間の計画開始から翻訳出版までの道のりであり、ここで記そうとしていることである。

II

前置きが長くなったので、それでは物語へと行こう。有用なものであったとしても、二次的で取るに足らぬものと決めつけて触れずに終わるかもしれない。読者を信用しようではないか。

先述したとおり、『サンベルナルド』の翻訳は幾分遊び心のあるものとして始まった。私たちには各々専念する研究課題があり、本計画については、それほど真面目に取り組むものでもなく、訳し終える期限を決めないようにした(後述するが、これは後に変更される)。それでも、グラシリアノの散文へと分け入り、作業を開始することにしたのである。

翻訳理論―言語間の言語的移植に関して体系的に研究し、様々な知的分野に亘って理論的議論を展開すること―は私の専門ではない。さらに、自分はブラジル文学の権威とも、ましてやグラシリアノ・ハーモス作品の大家とも考えていない。私の経歴を一瞥すれば、専門領域がすぐに分かるであろう。包み隠さず言えば、呼ばれてもいない場所に余計な口出しをしているのだ。つまり、共訳とはいえ、このエッセイで述べる意見は個人のものに過ぎず、岐部先生の見方を表すものでは必ずしもない。ここでは私の同僚が執筆したマダレーナとパウロ・オノーリオを扱った2本の論文を是非ともお読みいただきたい。両論文において、著者はこれ以降述べることよりも遥かに体系的な形で、翻訳を巡る諸問題を解きほぐしている。1

但し書きを記せば、より自由に書くことができよう。いかなる翻訳も再創造の過程であると言うのは見当はずれではない。何かが犠牲にされ、多くのものが変更を余儀なくされ、翻訳者の想像力と適正が絶え間なく試されるのである。これはあらゆる文学作品に当て嵌まることだが、ことグラシリアノについては幾分複雑であった。簡潔で無駄がなく、正確な文法と綺麗に削ぎ落された文章で知られているため、どの言語へ翻訳するにしても、細心の注意を払ったところで充分ではない(同様のことはアーネスト・ヘミングウェイをはじめとする多くの作家にも言えるであろうし、ヴェーリョ・グラッサだけが哀れな翻訳者に困難を押しつけていると非難するつもりはない)。件の小説において、厄介なことはさらに深いところにある。すなわち、『サンベルナルド』の散文はグラシリアノの典型的なものではなく、妻エロイーザに送った書簡の中で彼自身が語るとおり「ポルトガル語からブラジル語へ」再翻訳されているのである(岐部論文を参照のこと)。それは『サンベルナルド』で描かれているものの多くが、ブラジル北東部、特にアラゴアス州の水彩画で彩られていることを意味している。この状況を端的に表現するなら、『サンベルナルド』は地域言語に溢れているということであろう。しかし、それだけではない。地域言語はパウロ・オノーリオの物語に異国情緒的な味わいを添える調味料として使われていない。それは彼の言語であり、自分の物語を語る際に表現可能な唯一の言語なのである。語り手の言葉遣いに見られる特質を文章から抜き取ることは、文章とオノーリオを著しく貧弱にさせ、ブラジル文学にもハーモスの芸術的技法にも不義となる。この事実を自覚することは―小説を手に取る読者に大きな悦びをもたらすのだが―ポルトガル語を除く他の言語へと翻訳しようとする者を悩ませる。私たちの翻訳の受難は、そこに始まった。この男を日本語で語らせるにはどうすれば良いのか、と。

例を幾つか挙げることで分かりやすくなるかもしれない。まずはタイトルから。ポルトガル語ではSão Bernardo、いや正確にはS. Bernardoという。

訳者注:小説が刊行された当初は S. Bernardo と表記されていたが、現在では São Bernardo である。

これは登場人物の名前やその伝記名といった類のものではなく、物語の舞台となるサンベルナルド農園のことで、中心的役割を持つ。ところが、小説を読み始めるまで読者はタイトルが何を指すのかが分からない。聖人なのか。町なのか。川なのか(北東部にサンフランシスコ川があるのはご存知だろう。どうしてサンベルナルド川がなかろうか)。何らかの地名だろうか。初めての読者は分からないが、パウロ・オノーリオに形容は必要ないのだ。サンベルナルドはサンベルナルド。彼にとっては世界で何より重要な場所である。

そう考えると、タイトルに農園名だと限定する語を置かなかったグラシリアノの選択が偶然ではなかったと思える。だからこそ、私たちは日本の学術文献で引用される際に含まれがちな「農園」という語を除くよう配慮した。そう、『サンベルナルド農園』はない。サンベルナルド、ただそれだけ。些末な問題に感じられるかもしれないが、考え抜いた選択であった。

例をもう一つ。パウロ・オノーリオはどんな「eu」(一人称単数形を指す主格人称代名詞)を使うべきなのか。ポルトガル語話者(「eu」のみ)や英語話者(常に大文字の高慢なI)にとって、この疑問は奇妙に聞こえるかもしれないが、日本語話者であれば、年齢、性別、状況、時代等によって一人称単数形を表現する方法が様々あることを知っているだろう。私たち翻訳者にとって、彼は「私」なのか「俺」と言うべきなのか。50歳近い年齢からすれば、「儂」だろうか。状況に応じて代名詞を変えようか。(個人的なことだが、友人たちの間では「僕」で、呑み屋では「俺」で、改まった講演では「わたくし」である……)2 難しい。この点を巡っては、延々と言葉が費やされた。結果、パウロには漢字で「私」を当てることにした(マダレーナはひらがなで「わたし」である)。グラシリアノは墓の中で大笑いしているだろうか。

例を挙げればきりがないため、この辺りにしておこう。今でもよく分からないのは、カジミーロ・ロペスがナヴィオの川岸で水を飲まずに何をしていたのか、ということだ。幾度となく私たちは、専門的な文献、修士論文、博士論文、英訳3、イタリア語訳、フランス語訳を調べたり、各種辞典類4を繙いたり、インターネット上の無数の情報を探し求め、ある表現や文章の意味を解明しなければならなかった。作業過程は長く、とりわけ冒頭4章が骨の折れるものであった。なぜか。その答えは単純なようだ。要するに経験である。何かに取り組めば、それだけ上手くなる。私たちのパウロ・オノーリオは初めの4章においては日本語を話すのに苦労をしたが、その後は歯車が嚙み合ったようである。

III

すでに述べたとおり、『サンベルナルド』に関する研究は膨大かつ詳細である。ブラジル博士・修士論文電子図書館において簡易検索するだけで、100件以上の結果が表示される。アントニオ・カンジドやアルフレド・ボージといった権威ある理論家らもまた、グラシリアノの作品と真摯に向き合って来た。こうした作品評価のすべてが、私たちの計画を続ける上での土台となった。翻訳とは言語から言語への単なる置き換えではなく、裏付けが必要なのである。日本の出版市場で本邦初の作品を紹介するに際し(『乾いた人びと』は既に刊行されていたが、グラシリアノ作品の翻訳は事実上それのみ)、旧共和政、端綱投票、恩顧主義、1930年革命など多くの事象を文脈化しなければならない私たちには、尚更のことであった。

レオン・イルズマン(1937–1987)監督によって1972年に初めて映画化された件について、ここで言及しておくことは重要かもしれない。パウロ・オノーリオ役はオトン・バストスで、マダレーナ役はイザベル・ヒベイロである。そのほかの配役では、パジーリャ役にニルド・パレンチ、ノゲイラ役にマリオ・ラーゴ、シルヴェストレ神父役にジョフリ・ソアレス、マガリャンイス博士役にホドルフォ・アレナらがいる。サウンドトラック(忘れがたい音楽であることを付け加えておく)はカエターノ・ヴェローゾで、撮影はラウロ・エルコレル。エンブラフィルミが配給した初めての作品であったが、軍事独裁体制の検閲により7か月間の差し止めに遭い、サガ(制作会社)の倒産を招くことになった。しかしながら、映画は数多くの賞を受けた。1973年のエール・フランス賞において最優秀作品、監督、男優、女優の各カテゴリーで受賞したほか、コルージャ・ジ・オウロ(金の梟)賞の最優秀監督賞、グラマード映画祭で最優秀男優賞も獲得した。2015年には、アブラシーニがブラジル映画史上ベスト100に選んだ。

芸術作品としての文学と映画は、弁証法的な関係の中で絶えず対話を重ねながらも、固有の表現形式として扱われるべきであり、どちらが従属しているわけでも、どちらが劣っているわけでも決してない。「映画を観たけどね、原作の方が素晴らしい」や「映画がないと、原作は生きない」と言い合うのは愉しいかもしれないが、あくまで主観的な見方に基づいたものである。それでも構わないが、映画もまた翻訳の一つの形式であることは覚えておいて良い。それを踏まえて言えば、1972年の『サンベルナルド』は恐らく、グラシリアノの文章を可能な限り忠実に蒸留したものであろう。現在、パブリックドメインとなっている本小説で、オトン・バストスによって永遠に刻みつけられたパウロ・オノーリオが表紙を飾るのも、あながち偶然ではない。5

IV

このあとプロットの機微に踏み込むため、いわゆる「ネタバレ」を望まない読者はここで読むのを止めておこう。

単刀直入に訊きたい。『サンベルナルド』とは如何なる話なのか、と。これは、パウロ・オノーリオが自身の回想録という形を採り一人称で語る物語である。孤児で貧しかったパウロ・オノーリオは社会的底辺を抜け出し、苦労を重ねつつも狡猾さを発揮し、小説の題名となる農地を手に収める。影響力と財力を持つ政治指導者となり、ずいぶん年下の教師マダレーナと結婚をする。教養のある女性で、オノーリオ同様に貧しい身の出自であるが、夫とは異なり、恵まれない階層の人たちへ共感する心を持つ。そのような二人の衝突は避けられず、夫の不合理な嫉妬となって現れる。結婚生活はマダレーナの自殺によって悲劇に終わり、住み込みの使用人らを含めて家庭は崩壊してしまう。その背景には、旧共和政の瓦解と1930年革命による社会秩序の変化がある。孤独となったパウロ・オノーリオは自伝を書く。

このように語ると、プロットは物語を構成する骨子に過ぎないようだ。本小説の基本的な特徴のみを考慮するならば、その他の世界文学の傑作との類似を見つけるのも難しくはない。後に豊かになる貧しい少年は『デイヴィッド・コパフィールド』をはじめ、数多の立身出世物語にいる。語り手を悩ませて妻を有罪にさせる嫉妬心は、シェイクスピアの『オセロー』を思わせる。妻の自殺という結末を控える相容れない二つの世界の不幸な結婚は、フローベールの『ボヴァリー夫人』であろう。さらに、自らの結婚を台無しにする嫉妬に憑りつかれる語り手は、トルストイの古典的中篇小説『クロイツェル・ソナタ』にも見られる。こういった具合だ。『サンベルナルド』の芸術性は主題のみに潜んでいるのではなく、文学的モチーフが言語表現と緊密に絡み合いながらどのようにして発展するのかにあるのは、一目瞭然である。グラシリアノ・ハーモスの洞察力を前にすると、オラーヴォ・ビラッキの有名なソネット「信仰告白」にあるあの金銀細工師という言葉を避けることはできない。グラシリアノのフローベール的特徴が文学批評で度々言及されるのも偶然ではなく、フローベールと同様に、彼は正確な言葉、無駄のない文、散文の精緻なリズムに執着していた。ここに物語の骨格がある。『サンベルナルド』には偶然も不手際も一切ない。繰り返すが、一切ないのである。あらゆる語彙、それぞれの文、場面という場面は精巧に設計され、最終的にモザイク上に構築される役割を果たしている。これがパウロ・オノーリオの語りなのだ。

V

農園を舞台としたプロットを組み立てる作家の芸術性を詳述するのに、多くの紙幅とインクが相当に費やされた。ただ、ここで小説の構造を完全に繙くことは私の意図ではない。私が試みたいのは、本当の意味で集中した読書プロセスというものに注意を促し、個人的に既に知り尽くしていると確信していた物語の構築において、グラシリアノが用いた文学的手法と仕掛けを翻訳作業が如何に気づかせてくれたのか、ということである。そのために、放蕩息子で酒呑み、文学的素養を持ち、革命的願望を抱くパジーリャは外そう。師範学校の教師で、裕福な農園主と結婚した後もなお貧しい人たちを忘れないマダレーナも同様である。その他、ゴンジン、ブリット、シルヴェストレ神父、マガリャンイス博士といった注目すべき登場人物らにも構わない。そう、私が本当に語りたいのはメンドンサのことである。

メンドンサはパウロ・オノーリオの最初のネメシス(仇)であり、隣接するボンスセッソ農園の農園主である。20歳から30歳はオノーリオより年上らしい。パウロ・オノーリオはパジーリャを欺いて借金を背負わせた後、没落していたサンベルナルド農園を手に入れる。ほとんど不毛な農地、荒廃した邸宅、雑草に覆われた草地、そしてとりわけ、ボンスセッソ農園の柵がサンベルナルドの土地へとずれ込み、年々侵食していた。メンドンサへの言及は物語冒頭からあるものの、登場人物として姿を現すのは、農園を手中に収めた直後のパウロ・オノーリオと対立する場面である。柵を取り壊すべきか、然るべきところに直すべきかと、まさに境界線を巡る問題で揉めていた。

メンドンサはブラジル北東部の典型的なコロネル(地方の有力者)である。大土地所有者としての地位により、彼はクリエンテリズモ(恩顧主義)制度を通じて機能する社会的ピラミッドの頂点に立つ。その庇護の下で労働と生活を営み、指示される政党へ投票をする人々、すなわち選挙民を統制することで、メンドンサはボンスセッソ農園の柵を遥かに超えた権力を行使するのである。そこにどのくらいの人が暮らしているのか不明だが、老農園主には娘が二人いて、妻に先立たれているのは分かる。そこにはまだ、労働者、家僕、住み込みの農夫らがいる。彼らの多くは字の読み書きが十分にはできないが、投票権を有している。これがよく知られている端綱投票システムであり、ブラジル旧共和政に内在する制度である。メンドンサは名家出身のようで、ボンスセッソ農園にはエンジェーニョ(製糖工場)があるため、過去にサトウキビ栽培をしていたか、あるいは今でも継続しているのかを示している。パウロ・オノーリオにそうした関心はなく、サンベルナルド農園では果樹栽培、トウゴマ栽培、輸入家畜のほか、採石場や製材所が置かれている。このように、メンドンサは同時に行き先であり、反面教師でもある。つまり、パウロ・オノーリオが社会的上昇の果てに望む姿であり、大農園主として想像するモデルの反対でもあるのだ。

この二人の男の間には、葛藤と、敢えて名指ししない敬意でできた難しい関係がある。興味深いことに、メンドンサ(Mendonça)という名前には「恐怖(medo)」と「ジャガー(onça)」が含意されている。この動物的比喩を使ってみよう。パウロ・オノーリオが老地主との抗争で屈しないのは、彼を尊重していることは言わずもがな、恐怖が暴力の危険という具体性を帯びているからに他ならない。望むものを得るためには暴力的手段さえ辞さないとする社会にあって、待ち伏せや茂みから銃弾が飛んで来る可能性は絶えないのである。

メンドンサの描写におけるグラシリアノの天性は、身体的な外見が心理的特徴を如何に表しているかにある。彼は子羊のような白い顎髭を蓄えている。そして犬歯は黄色く尖っている。そこにただ一つの絵として、羊の皮を被った狼の姿が描かれているのだ。老コロネルの態度はそうした読解を裏付けよう。彼が納得する状況の時は過剰に愛想よくなる。小説の冒頭、特に重要な一節があるが、パウロ・オノーリオは選挙を数日後に控えた折にメンドンサの家を訪ねる。その時点で読者は、ボンスセッソ農園の人間がサンベルナルド農園の邸宅周辺をうろつき、夜になると、人影や口笛がパウロ・オノーリオの家を取り囲んでいると分かっている。そこではカジミーロ・ロペスが用心棒の役割を果たしている。メンドンサはどう夜を過ごしたか語りつつ、酷い夢に襲われ、よく眠れなかったと言う。その時、自分を刺していた蚊を押し潰す。それを描写するに際し、老グラシリアノはこう記す。

まるで弾のような蚊

グラシリアノ・ハーモス、『サンベルナルド』

パウロ・オノーリオは立ち去る前に選挙に触れ、村からの帰路に選挙民らと祝杯を挙げるべく、当日に子羊を屠ると言う。そして日曜日に投票を終えたメンドンサは、胸元に銃弾を受け、ボンスセッソ農園近くで死ぬ。

パウロ・オノーリオが同日に屠るよう命じた子ヤギのことを思えば、ここに子羊の犠牲のイメージがあるのは否定できない。犠牲やホロコーストといったキリスト教的暗示は、事件の時にパウロ・オノーリオが教会にいたという細部によって強固になる。祈るためでないことは明白で、鐘の値段についてシルヴェストレ神父と俗事を話し合うためであった。

VI

陳腐な表現になるが、真実ではあるため、ここで繰り返す。翻訳とは再創造であると。『サンベルナルド』を日本語へ翻訳するに際し、我々はほんの些細なことも調べなければならなかった。それはいわば解体作業である。頭に浮かぶイメージは、服の一部を切り離すこと。一つひとつ縫い目を取り、服がどう仕上がっているのかを見る。6 忠実に翻訳をするプレッシャー(これは文字通りに翻訳するということではない。両者は別々のもの)。原著の情趣が日本語で再現されなければならないのだが、登場人物らに説得力を持って語らせるという挑戦がここにあり、単に自動翻訳すれば良いものではないのである。そのため、同じ一節を何十回と読んでは読み返した。注意深い読者でも速読する文章がこうして分析され、悪戦苦闘しながら日本語に対応する語が求められた。本文ですでに言及したように、すべてが完璧に仕上がったわけではないが、各語彙は意図的に選ばれたものである。申し添えておくが、何らかの誤りがあれば、責任は我々にある。

最後に、訳書の本文中には故意に脚注を入れなかった。内容理解に欠かせないもの、たとえば庇護関係に関する基礎知識などは訳者あとがきに盛り込んでいる。後は、昔から外国文学に親しんでいる日本語読者を信頼し、今回の翻訳が好意的に受け取られることを願おう。『不眠』は翻訳を終えて刊行に向けて準備中である。その次には『苦悩』が控えている。ぜひ手に取って読んでいただきたい。

  1. 岐部雅之「ブラジル北東部文学と抵抗する女性像―グラシリアノ・ハーモス著『サンベルナルド』から―」京都外国語大学ラテンアメリカ研究センター紀要25号、1–19頁、2025年。/「パウロ・オノーリオの『声』を解剖する―グラシリアノ・ハーモス著『サンベルナルド』における語りの翻訳を巡って―」『ブラジル研究』第20号、大阪大学外国語学部ブラジル研究会、45–70頁、2026年。
  2. グレゴリー・ケズナジャット著「俺を使わない僕」(『言葉のトランジット』講談社、2025年、29–35頁)を一読されたい。
  3. 当然ながら、この困難は私たちだけのものではない。英訳版(新訳)の訳者パドマ・ヴィシュワナサンのインタビューは大いに示唆に富む。
  4. 『アウレリオ』、『オアイス』、『アウレッチ』の各辞典は不可欠であった(版は省略)。これらに加えて、インターネット上にはグラシリアノ・ハーモスの作品全般及び作品ごとの語彙集が複数存在する。パドマは上記のインタビューの中で、私たちも参照した重要文献を挙げている。マリア・ダ・サレッチ・フィゲイレード・デ・カルヴァーリョ & マリア・ダス・ネーヴィス・アルカンタラ・ジ・ポンテス著「グラシリアノ・ハーモス著『サンベルナルド』の地域・民衆語彙集」(2008年)。本テーマに関する卒業論文、修士論文、博士論文を執筆された研究者や学生らに深く感謝申し上げたい。オープンアクセスはまさに学術的活動の要である。
  5. 俳優オトン・バストスは映画『消えた火』にも出演した。これはマルコス・ファリアス監督が1976年に作家ジョゼー・リンス・ド・レーゴの同名の古典的小説を映画化したものである。同作において、バストスは1910年のパライーバ州内陸部にある大土地所有者ルーラ・ジ・オランダ大佐役を演じた。その他、映画『サンベルナルド』ではシルヴェストレ神父役で出演したジョフリ・ソアレスやラファエル・カルヴァーリョがいる。エンブラフィルミ社によって制作され、技術的に妥当だが、イルズマン監督の作品ほど注目に値しない。当時の批評家らはすでに、緩慢すぎる調子と映像を抑制する語りへの依存を指摘していた。ジョゼー・リンス・ド・レーゴの小説は、スクリーンでももっと良く映画化されてもよかった。
  6. ハン・オン著「マイ・バレンシアガ」に類似のイメージがあるのは興味深い。作家の服らしきものが解かれ、その真贋を確かめるというものがある。これについては最近『ザ・ニューヨーカー』に掲載された。是非ご一読を